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兵庫県福崎町には、子どもが泣き叫ぶ“本当の河童”がいました。

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子どものころからすぐそばにいた妖怪

聞くところによると最近の妖怪は一緒に体操したりするとか、、、

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おそらく、水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』あたりから
その存在がただ怖いだけではなくなったように思いますが、
私が幼いころ、妖怪というのはまだまだ怖い存在でした。

とくに「天狗」「鬼」「河童」というのは、
話の由来はわからないままに、その威圧感に
ただただ圧倒されていたことを記憶しています。
(鬼追いで泣き叫ぶ写真が実家には残ってるはず)

その中でも、「河童」のエピソードは強烈で、
川で泳いでいると足を掴んで引きずり込まれる、とか!

いや、こわいでしょ。こわすぎます。。。

おかげで、5歳でクロールを習得していたにもかかわらず
浮きを持たずに川で泳ぐことができたのはそれよりも
ずいぶんあとになってからでした。

きっと先人たちの知恵で、子どもの水難事故を防ぐために
言い伝えられたものだとは思うのですが、その絶大な抑止力を
体感した自分としては、妖怪が身近な存在になり下がることに
寂しさを覚えます。

そんな寂しさを吹き飛ばしてくれる、昔ながらの妖怪を
あじわえるスポットが、兵庫県神崎郡福崎町にあります。

辻川山公園界隈

福崎町は、民俗学者の柳田國男さん出身の町で、
彼が「私の家は日本一小さな家だ」と称した生家が、
今も移築して遺されています。

その移築された生家からほど近い場所に
辻川山公園という公園があります。
その公園のため池に、「河童」が出没します。

公園の名前では案内が表示されないカーナビがあります。
その場合は「柳田國男生家」か「柳田國男・松岡家記念館」と
入力いただければ大丈夫です。その一帯が辻川山公園です。

公園の前には10台ほどが駐車できる駐車場があります。

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柳田國男さんの生家もすぐそこです。

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こちらがその生家。

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中に入ることもできて、当時の生活を想像させてくれます。

すぐ横には旧郡役所が移築され、今は資料館として使われています。

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そして、問題のため池がこちらです。

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ん?池のそばから何かがこちらを見ています。。。

ここには兄弟の河童がいます

彼は兄の河太郎(ガタロウ)。

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実はこちらの河童は兄弟なんです。

かれら兄弟のエピソードはこちら。

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この話を読んでから、河太郎のそばにいくと、
「尻子玉」を手に持つその後ろ姿はどこか寂しげです。

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けど、やっぱり顔は怖い・・・。

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弟の河次郎(ガジロウ)は今も池に潜んでいます。

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彼は時間にきっちりしていて、9時〜18時の00分と30分、
きまって出没します。

いよいよ、河次郎登場!

その時間になると、池の中心で泡が出てきます。

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そして、いったん泡が止んだあと、ためてためてためてから、
満を持して、河次郎が出現。

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この瞬間、観に来ていた家族連れのうち、約半数のお子さんが
歓声をあげ、残りの半数は泣き叫びます。

これはたしかにこわい。子どもたちの脳裏には
この日の光景がしっかりと焼き付くことでしょう。

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別角度から観ても、やはりこわいもんです。

姫路城からぐるりと一日で散策できます

少し足を運ぶと、映画「ノルウェイの森」や大河ドラマの
ロケでも使われた砥峰高原もあります。

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(2013年10月、ススキがきれいです)

車移動でないと不便ですが、朝からだと「姫路城」
「河童」「砥峰高原」は一日でじゅうぶんに回れます。

「砥峰高原」はゆったりとくつろぐことができますので、
行程の最後にもってくることをおすすめします。

では。

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【編集後記】

4月の事務所月次処理終了。
今年は順調です。

【昨日の一日一新】

スタバ フルーツオントップヨーグルトフラペチーノ

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石田 修朗

1976年生まれ。B型。姫路出身。 (雇わず、雇われずの)“ひとり税理士”として活動中。テニスとカレーを愛する、二児の父です。経営者の不安を安心に変えることにこだわっており、脱力することと手を抜くことのちがいを意識しています。